TARO’S HISTORY

 

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藤木太郎 音楽、その他の歩み
 

アマゾン 自然 音楽 秘境 出会い
主なポイントをまとめて見ました。
音楽がメインですが、私の弱さから生きていくのが嫌になった状況、そこから、ふっきれて開き直るとこまで書いております。

1967年9月10日 
大阪府守口市生まれ、幼少から、何となく不思議な夢や音楽のメロディは浮かぶけど、知識もないし、何より鍵盤嫌いなため、たまたま家にあった、アップライトのピアノで1本指だけで音だししていました。


1986年
音楽をしている友人の誘いを受けて、スタジオに初めて行く。
ここにおいてあったドラムを叩き、ドラムに目覚める。
同年、高校の文化際で一度きりのドラムでの演奏を行った。エレキ、ベースとの組み合わせ。
曲は喜多郎さんの「自由への旅立ち」。


ドラムセットを固定するのを忘れ、ドラムが左右に分解する?トラブルの体験のおまけつき。


1987年
1人で徹夜でスタジオ貸切、あらかじめ録音したメロディ?にドラムを録音する。8時間くらい叩いて遊んでいました。この前から、作曲欲が本格的になり、家にきた30年選手のエレクトーンで簡単なコードを本見ながら勉強していました。


1988年
オールインワンシンセサイザー「カシオCZ5000」を買う。また8音しか出ないので確かカセットデッキ2台用意して多重録音を試みました。(すごいノイズの嵐・・)
リバーブ(残響効果)もエレキギター用なら何とか買えましたのでその2つでがんばって作曲していました。

1989年
ローランドD10、ローランドU110、海外製の3万円の8chミキサーで始めてまともに?作ったつもりの作曲集「幻影飛行」をカセットに録音して配布。私の音楽作曲歴は、ここを基準にしています。


1991年
ヤマハSY77、ローランドU110、海外製の3万円の8chミキサーで作曲集「絵巻」をカセット録音、配布。

後に母親が掃除中、全ての機材をひっくり返してしまう事件がありました。
怪我がなかったのは幸いでしたがデータが全てパー・・・。

1993年
ヤマハSY77、ローランドU110、プロテウス、河合ステレオ8chミキサーで作曲集「ネオ マインド コスモス」をカセット配布。


1995年
シンセを全て下取り交換して、コルグ01、ヤマハW7、サンプリングのおもちゃ?、河合ステレオ8chミキサー、
さらにローランドの5万くらいのストリングス音源で「激情」「旅の記憶」をカセット配布。
機材で一番多く所持していたのはこの頃です。

諸般の事情で1998年に全て売却しました。
作曲もやめようと思いました・・・。が・・。


2000年
コルグトライトンシンセサイザーを購入。

2001年
MDにて、アルバム「彼方から」を製作配布。この頃から、喜多郎ファンの方々と交流が始まり、いまも大変お世話になっております。
MD配布の批判も受けて、かなり悩んだ時期でもあります。


2002年
今の愛用機「コルグトライトンンスタジオシンセサイザー」購入。予算とスペースの関係で61鍵盤使用にし、あまった予算で声のサンプリングCDを購入。ここから、そこそこ使いこなすのに1年弱かかりました・・。


2003年2月
色々人生に悩んだ時期で、生きているのが嫌になり、命を絶とうとまで考えました。しかし不思議な力で生きている。
何かふっきれるものを感じました。



2003年2月
その後、父の仕事同伴で、ブラジルに行きました。最初は24時間も飛行機のるのは勘弁と嫌がってましたが結局行ってしまうと、いまさらまた24時間飛行機乗って帰るのはあほらしい、楽しまないと損損!!と思いっきりラテンモード?でリオを満喫。

この後、アマゾンで未知の大自然、生きる厳しさを肌で少し体感。

最後に、イグアスの滝で、ふっとわいたイメージ曲「はるかなる命」のフレーズが心を満たしました。

能天気に遊ぶ、人生を謳歌する、お金のあるなしはあまり関係ない、でも自然は未知の世界も一杯、何となく人なつっこい人たち、現地の人から私はブラジル向けと言われたこと、一緒に写真撮ってしゃべって笑って、、わずかな自由時間で、帰りの飛行機から見る景色の中で「はるかなる命」ができました。



2003年3月
海外向けに英語メインのCD「旅の記憶」完成。
久しぶりの人前での演奏で、初めて自分の曲でお金を頂戴しました。演奏曲こそ「はるかなる命」

2003年5月
ブラジルCD完成版「情熱」を公開。

2003年11月
声楽の女性とホームコンサートでセッションを行いました。3回しか練習していないですが、本格的な人はさすがです。
(曲名をクリックすれば、Youtubeにジャンプし映像再生されます。)

2003年12月
某サロンにて「はるかなる命〜星の愛」を演奏。ここで、今、音楽をサポートしてくれている安井有里さんとお会いしました。

2004年7月
ホームコンサートで「はるかなる命〜星の愛」を演奏。スキャットに安井有里さんをお迎えしました。

2006年7月
懇意にしていただいている
芹澤 晧元さんの陶芸とフレーズが、つくばセンターから東京へ向かう高速バスの中で転寝しているときに浮かび「新たなる命」という曲ができ、そこから発展して新作CD「環」が完成。
完成前に渋谷のミオサロン社長の本多育子さんに曲名、等のアドバイスを頂戴しました。

2006年8月
ゲスト参加で門真ルミエールホールにてCD「環」から「光陽」を演奏。審査員特別賞まで頂戴しました。
(曲名をクリックすれば、Youtubeにジャンプし映像再生されます。)
さらに、渋谷ミオサロンでCD「環」ミニコンサートを開催。ゲストに安井有里さん。
ミニライブの中の「BELIEF」をご覧ください。約8MBあります。

2006年10月
ブラジルCDをリニューアル「はるかなる命」として一部曲の再アレンジ等を行いました。このCDは非売品ですが「はるかなる命」は、このHPで無料公開中です。(少しでも多くの方に聞いてもらいたいので、当面の間、公開しております)
プロデュースには、北九州の和風スペース「ピアスペース ノーティス」の神保代表にお願いしました。

2007年2月
広島から移動中の夜景を見ながら浮かんだフレーズ「星の歌声」から、愛する人、地球などを自分なりに自分からの視点で表現したCD「地球の愛」を公開しました。

ちょうど、仕事のトラブル、経営上責任で、親や身内、関係者に常に責められ、ものすごくつらい状況でした。

精神的につらい状況であるからこそ、神様が音楽をプレゼントしてくれた、とも思います。
 




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